広州の思い出#大同酒家(1)

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「大同酒家」広州人にとって、歴史が最も長い老舗で、広州に過ごしている人々が飲茶をすると思ったら、頭の中に先出て来る店です。「ここで、結婚式したよ!」、「ここでこともの誕生を祝い宴会したよ!」などなど、地元の人にとって、「大同酒家」は自分自身の人生の記憶の一部です。「大同酒家に来ないと、座席を見つけるのがどんな難しいことかわかられない」とよく言われているぐらい地元の人々に愛されています。

「大同酒家」はもともと広州ガーデンレストランと呼ばれていました。1938年に日本人中沢親礼によって開業し、主に日本の軍人や政治家、大企業や大企業の裕福なビジネスマンをターゲットにしています。 1942年、レストランが経営不振のため、香港の食品大手などから資金提供を受け、名前を「大同酒家」に変更しました(つまり、世界は同じです。つまり、世界は公であり、誰もが平等であり、自由な社会的の意味)。

1954年、大同酒家は官民共同事業に再編され、広州で最初の官民共同会社となりました。大同酒家はさまざまな国からの政治家を受け入れる場所になりました。たとえば、周恩来はここでソビエトのボロシロフ議長ためにディナーを主催しました。朝鮮の金日成、ベトナムのファム・ヴァン・トゥン首相、インドネシア共産党のアイディ事務総長など。 毛沢東が広州を訪れたとき、さまざまな国からの著名なゲストの重要な接待の場所にもなりました。 文化革命の間、大同酒家は「新風飯店」に改名され、文化大革命後に「大同酒家」の名前を戻りました。

1985年、大同酒家と香港 富茂とは合弁契約を締結し、広州での中国と外国の合弁の初めの食品企業となりました。 香港側は大同酒家の改装に投資し、輸入食材を使って食品の品質を向上させ、ペストリー事業として最初のセルフサービスベーカリーを階下にオープンした結果、大同酒家は再び全盛期を迎えました。

広州の人々は大同酒家と大公餐厅(1945年に設立)と大三元酒家(1919年に設立)は「长堤三大」として呼ばれています。

2015年に友達と6人、広州へ行った時、「大同酒家」近くの「広州愛群ホテル」を泊まりました。

愛群ホテルは1937年にオープンし、当時は「南中国の冠」とされ、80年近い歴史を持つホテルはなんともいえない味があります。チェックインし、部屋へ~~窓から見た珠江の夜景はおすすめです。

遅い時間で着いたので、「大同酒家」の夜飲茶を食べに行きました。ホテルから「大同酒家」までとても近いので、歩いてすぐでした。席はないかな?と心配したですが、店内に入ると夜飲茶をはじめる時間にまだ30分あると言われ、席のため早めに店を入りました。やった!

昔ながらの内装はちょっと古いですが、老舗の雰囲気はたっぷりです。私たちは早いと思ったですが、周りを見たら、ほとんど夜茶を待っている地元の人々です。

席に案内され、まずお茶を注文、店員のお姉さんにお茶の種類を聞き、プーアル、と菊花茶を注文しました。しばらくすると、お茶を運ばれ、

夜飲茶のメニューも一緒に持ってきてくれました。

お茶をいれ、

じっくりメニューを~~~

種類が多くて、大分迷いましたが、お腹が空いたので、ポン~ポン~ポン~と決め、店員に渡しました。その代わりに伝票をもらいました。

お茶をしながら、6人は雑談し、点心の登場を待ちしています。(続く)

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